16世紀頃、クリミア・ハン国からウクライナ経由でブンチュークの風習がリトアニア大公国とポーランド王国へ伝わった。ポーランドの最高司令官であった大ポーランド・ヘトマン(Hetman wielki koronny)は二つの馬の尻尾で飾ったブンチュークを使用し、彼に次ぐ戦場ヘトマン(Hetman polny koronny)は一つの馬の尻尾を持つブンチュウクを用いていた。ブンチュウクを持つためにブンチューク手官という職も設置され、旗手官にならぶ名誉な称号とされていた。
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1576年にポーランド国王ステファン・バートリは、当時ポーランドに従属していたウクライナ・コサックに、戦場での手柄の褒美として一本のブンチュークを下賜した。その行為によってコサックは国家の軍事力として公認され、ブンチュークは「クレイノード」と呼ばれるコサック軍の大切な標章となった。コサックのブンチュークは、約3メートルの竿の先端に1つの白馬の尻尾を紅・黒・白の糸で編んで2つの銀色の房とともに、黄金の玉で固定されるような構造をもっていた。
17世紀からはブンチュークは、ウクライナ・コサックの棟梁ヘーチマンの権力のしるしとなり、ブンチュークの数も増えた。17世紀以降、ヘーチマンは紅竿・黒竿・白竿の大ブンチュークと、自分の権利を分与する標しとして任命ヘーチマン専用のいくつかの小ブンチュークを持っていた。ブンチュークの手入れと移動は、ヘーチマンの半官を勤める軍のブンチューク手官と「ブンチュークの友」と呼ばれるブンチューク手官の部下に任されていた[3]。
18世紀以降、ウクライナ・コサックからの影響でドン・コサックをはじめとするロシア・コサックでもアタマーンの標しとしてブンチュークを使用するようになった。
20世紀になるとブンチュークはほとんど使用されなくなったが、第二次世界大戦前に存在したポーランド共和国の騎兵軍団では軍旗と並んで軍団の標章として短い間で用いられたことがあった。